- 2024/09/14
- writer: 山崎拓
おかげさまで開業11周年を迎えることができました。
今日、9月14日は僕らにとって特別な日。
もうタイトルに書いてしまっているので、そのまんまなのですが 笑
そう、今日はナチュラルラウンジの開業記念日なんです。
おかげさまで無事に11周年を迎えることができました。
いつもこのメルマガ&ブログを読んでいただき、お店や通販サイトをご利用いただき本当にありがとうございます。
そして、毎年この日に決まって思い出すのはやっぱり起業当時のこと。
この話も9月14日を迎えるたびにしているような気がしますが、やっぱりとても濃い期間だったこともあり、どうしてもこの話題になってしまうんですよね。
そして、これも毎回ですが、どうしてもこの話は長くなってしまいます 汗
出来るだけ簡潔に話そうと思いますが、多分、今日も長くなってしまうと思いますので、お時間があるときにご覧いただければ嬉しいです。
僕らがお店として正式に開業したのはまさに11年前の今日である2013年の9月14日。
意気揚々と開業届を出し、念願だった独立起業を果たしました。
開業日は9月14日でしたが、実際には開業前からさまざまな準備をしていたんです。
ストールが大好きなら商品として扱う前に自分で作ってみる経験は絶対に必要だ!と考え、奈良の山奥に泊まり込みで籠り、ストール製作を実際にやってみたり。
(この時僕が実際に作ったウールストールはこちらです 笑)
当時日本で一番、と言われていた技術士の方に直接繊維やアパレルの知識について指導してもらったり。
(この人たちと繋がるまでにたくさんのセミナーに参加してやっと直接お話をさせていただく機会が作れました)
商品であるストールは2013年の冬からインドに3ヶ月以上滞在し、何も情報がないところから自分達で一つ一つ調べ、直接現場に足を運び、ストールの原毛や生産者の仕事を確認しました。
また、インド滞在中には同時並行で、繊維やアパレルのこと、マーケティングやセールス、会計や財務などの事業運営に必要な知識についても日々学んでいました。
インドではこの3ヶ月の間になんとか当時自分達が最高!と思えるようなストールを現地で買い付けることができ、日本に持ち帰り、商品化の準備を進めました。
その後、地元信州大学の繊維学部に入り浸って買い付けてきたストールに使われている繊維一つ一つを電子顕微鏡で調べ、他のストールとの違いや優位性を感覚だけでなく数字でもしっかりと把握したり。
自分達の理想のお客さん像を想像して、その人物像にぴったりの人にインタビューもさせてもらい、どんな訴求をすればお客さんになり得る人が反応してくれるだろうか?ということも毎日考え、議論したりしていました。
(ちなみに、この時のお客さん像は男性でした 笑)
商品の販売用のホームページを作れるような制作会社さんやフリーランスの方を探しつつ、自分達でもプログラミングやデザイン、コピーライティング、広告運用についても猛勉強をしました。
当時この開業日までに通販サイトを作り込み、お客さんに注文してもらえる状況を作る!ということを一番初めの目標に掲げて日々さまざまなことに取り組んでいたんです。
そして、いよいよ9月が近づくにつれ、通販サイトも当時の自分達の中では理想的なサイトに近づきつつあり、商品周りの部材や発送準備についても万端!という状況が出来上がりました。
もし、開業と同時に怒涛のように受注が入ってきて商品が足りなくなってしまったら大きな機会損失になってしまう!ということで、ここで日本とインドで二手に分かれ、Motoはインド現地で待機をすることに。
そしていよいよ9月14日の開業&サイト開設日。
通販サイトを一般公開して、ストールの注文が殺到するのを今か今かと待ちます。
ですが、10分経っても、30分経っても、1時間経っても注文は一件も入らない・・・
当時は午前中に開業届を提出し、ちょうど正午くらいにサイトを開設して注文を待っていましたが、その日が終わるまでに注文はおろか、問い合わせの電話やメールも一件もない状況。
当時もなぜか根拠のない自信だけはあったので、こんな素晴らしいストールが売れないなんてこれは絶対に何かおかしい!と思い、自分達以外の外部の要因が影響しているのではないかということをまず初めに疑ったんです。
実はインターネット回線が切れてしまっているんじゃないか?
お店がインターネット上に正しく表示されていないんじゃないか?
サイトを公開した直後はお客さんにはまだ見えないんじゃないか?
でも、どれを確認しても全く問題ありません。
もちろん、問題は完全に自分達の方にありました・・・
そして、ここからストールを初めて販売するまでの長い長い道のりが始まります。
さっきもお話しした通り、ストールが売れなかったのは外部環境は全く関係がなく、全ては自分達の実力のなさが原因だったのですが、当時は未熟で本当にそんなことが全然考えられなかったんですよね・・・
でもさすがに1週間、1ヶ月、3ヶ月と注文が全く入らない状況が続くと、明らかにこれはやり方が間違っているということが理解できて。
日々の事業費用はどんどんと嵩んでいき、毎月毎月完全に赤字・・・という状況が続いていました。
このまま行くともう開業準備をしてきた資金が尽きてしまう、ということでメンバーがそれぞれアルバイトを複数掛け持って、そのアルバイト資金を事業資金に投入し、なんとか日々の運転資金を賄っていました。
もちろん、自分達の生活費は極限まで抑えて。
当時はコンビニやスーパーでおにぎりを一つ買うのもどうしようか考えたことも何度もあります。
ただそんなことよりも一番怖かったのは資本金が底を尽き、廃業してしまうこと。
これだけは絶対に避けたかったので、当時考えられることは本当に全てやりました。
ちなみに、今は辞めてしまいましたが、開業当時は3人のメンバーがいて、それぞれアルバイトの内容にも特徴がありました。
僕は本業がストール専門店だから実務としてこれに少しでも役立つ業種がいいと考えて、アパレル販売やセレクトショップのアルバイトを掛け持っていました。
今はやめてしまったメンバーは物販であっても接客やサービスが大事だと考えて、居酒屋を複数掛け持って日中は事業活動を夜はアルバイトをするという生活。
(彼は今のお店である事務所に寝泊まりをしていて、毎日ほとんど寝ていませんでした)
そして当時から役割がバイヤーだったMotoはやっぱり体力勝負!ということで、ドカタのアルバイトをしていました 笑
とにかく皆必死で事業活動もしていましたし、流血状態の事業を生かすためにアルバイトも全力でやっていました。
ただ、やっぱりアルバイトをかけもちながらの事業活動はどうしても色々と無理があって。
僕がやっていたアルバイトはアパレル販売だったので日中の8時間はアルバイトに取られてしまう状況でしたから、早朝とアルバイトが終わった夜間に本業の仕事をしていました。
でも日中に8時間取られてしまうのはやっぱりかなり厳しくて。
体力はもちろん、メンタル的にも結構キツかったです。
今でこそ、健康第一!なんて声を大にして言っていますが、当時はもう健康のことなんて全く考えられなくて。
そして、当時の一番の問題は時間が分散してしまうことで、本業だけに集中している場合に比べて、成果が出にくくなり、さらに結果が出るまでの時間も長くなっていたこと。
ただでさえ、経験も知識もノウハウも人脈も0の状態で起業しましたから、この状況で時間もない、となるともう本当に”ないない尽くし”・・・
いつになったら商品であるストールが売れるのか?
自分でもわからなくなりそうな感覚に襲われます。
商品自体は当時から人の肌にも体にも優しい天然繊維100%だけにこだわって肌触りの良いものだけを厳選していましたから、本当にストールの品質に関してはものすごく良かったです。
そして、何より自分自身が大好きな商品だったので、なんでこんな素晴らしい商品が売れないのか?意味が全然わからなくて。
こうなると、自分自身はもちろん、メンバー全員が疑心暗鬼になってしまってもおかしくありません。アルバイトは時間を投じれば確実に対価が入ってくる一方、事業では全く成果が上がらない・・・
これは今思い出しても本当に苦しかったです、、、
特に僕の場合はMotoともう一人のメンバーを起業というものすごくリスクが高く不確実な世界に巻き込んでしまっているということもあって、厳しい現実を突きつけられ、自分の実力のなさと不甲斐なさに直面し、言葉にならない不安と恐怖に駆られたこともあります。
それでも、言い出しっぺの責任があったことはもちろん、「こんな良いストールを誰にも知ってもらえないまま終わるわけにはいかない!」「いつか必ず好転させることができるはず!」という気持ちだけはずっと持っていました。
それに、これだけ素晴らしい商品なんだから、今足りないのは自分達の伝え方やアプローチの方法だということにはこの時にも薄々感じてはいました。
ただ、どうやったら見ず知らずの人に名も無いストール屋のストールを手に取ってくれるようになるのか?ということは当時は全然わからなくて。
毎日どうやったらこのストールが売れるのか?ということを考えて、考えたことを実行しながら日々試行錯誤していましたが、相変わらずストールは一枚も売れず・・・
商売の難しさを体感すると共に、自分の考えがいかに甘かったか、ということを痛感させられました。
こうした中でも家族や友達などはストールを手に取ってくれたりしていたのですが、一般のお客さんにはまだ一枚も購入してもらえていない状況でした。
こんな状況が半年ほど続いていた時、事業資金がさらに厳しくなり、他のアルバイトも探さなければいけない状況になってしまったんです・・・
アルバイトに申し込むときも、本業のことを隠してアルバイトをしたくなかったので、全部本当のことを伝えていました。
「自分はストールの専門店を立ち上げたばかりで、今は本業で食べていけないこと。でも事業にかける想いはものすごく強く持っていること。今後のためにアパレル販売の経験を積みたいこと。あくまでアルバイトは一時的であること」を伝えていました。
でも、企業側からしたらこんなアルバイトは正直雇いたくないですよね・・・
もう確実に辞めることが決まっている人間を喜んで受け入れてくるようなところはなかなかないと思います。
実際にアルバイトの応募も落ちまくりました 苦笑
本業もボロボロでアルバイトも不採用、自分が選んでやっていたこととはいえ、結果だけを見ると本当に最悪で、自己イメージもめちゃくちゃ下がりました・・・
そんな中でも何社かの会社さんはこんな自分を採用してくれて、未経験の僕に一から丁寧に指導をしてくれた店長さんやスタッフの方もいたんですよね。
しかもみんな僕が話す夢ややりたいことを応援してくれていたんです。
当時はこうしたことが嬉しくて、それでアルバイトも頑張ってしまって、本業が全然前に進まないことに罪悪感を持つということもありました。
そんな日々が続いたある日、同じタイミングで以前アルバイトの応募をしていた小さなアパレルショップの社長さんから突然電話がかかってきたんです。
「募集要項に書かれていた内容に興味が沸いたので電話させてもらいました。文章を読んでいるとまるで昔の自分を見ているように感じました。
もし良ければ一度うちでアルバイトをしてみませんか?
もし結果が良ければ御社のストールを店頭で販売する機会も考えています。ただうちは相当厳しい現場だから半端な気持ちでは続かないと思う・・・それでも良ければどうですか?」
と。
今までは社長さんから直接連絡が来たことなんてありませんでしたし、アルバイトの採用だけでも嬉しいのに、さらにもし結果が良ければストールを販売する機会ももらえるかもしれない・・・
こんな話もう2度とない!と思い、二つ返事で「やります!!」と答えました。
ちなみに、この会社さんは県外に本社がある会社なのですが、松本のランドマーク的な存在であったパルコさんに出店していたんです。
さらに常設店だけでなく期間限定の催事出店にも力を入れていて。
この催事出店の際のアルバイト要因として僕は採用してもらったんです。
ただ、実際にやってみると、この社長さんが言っていたように現場はものすごく厳しくて。
正直、今まで僕が前職でやってきた厳しさとはまた違うジャンルの厳しさがありました 笑
もう今は時効だと思うのでぶっちゃけてしまいますが、まず日々の予算がめちゃくちゃ厳しい。
それに個人スタッフの予算が決められていて、これもめちゃくちゃハードルが高い。
これ、どうやっても無理じゃないか?という予算が普通に設定されているんです。
(今までの履歴にも目を通しましたが、実際はほとんど予算を達成している日はありませんでした 苦笑)
それを達成できないと店が閉まった後にオーナーが来てものすごい罵詈雑言を浴びせられます。
アルバイトを始めた数日はさすがに僕に矛先が向くことはありませんでしたが、もともといたスタッフへのあたりは物凄かったです・・・
中には叱られすぎて泣いてしまうスタッフがいたり、怒られるのを避けるために自分で自社の商品を買ってお金をレジに入れていたり。
中には、メンタルを病んでしまい途中から突然出勤しなくなってしまう販売員もいました・・・
また、販売員もこうした圧をかけられている中なので、一度話しかけたお客さんにスッポンのように張り付いて、商品を買うまで帰さないようなアプローチをしているメンバーもいたり。
さらに個人予算が厳しため、全体予算よりも個人予算至上主義が蔓延していて、トータルで予算を達成することよりも個人が自分の予算を達成するために動くことが圧倒的に多くなっていました。
こうなるとチームワークなんて言葉はなく、もはや内情は販売員同士でお客さんの取り合いになっている状況・・・
これはなかなか厳しいですよね 苦笑
こうした現実を見るにつけ、アパレル販売現場の厳しさを体感すると共に、自分の会社ではどんなことがあってもこうしたことはしない、と強く心に誓いました。
そして、数日後には皆の鬱憤の矛先が僕の方に向くわけです 笑
あれっ?
みんな俺が今週から初めて現場に入ったの忘れていない?
と突っ込みたくなるような扱い。
「山崎さん、やる気あります?」
「今日の予算確認しました?」
「売れないんだったら裏に下がっていてもらっていいですか?」
こんなことを言われたことは一度や二度ではありません。
しかもほとんどのメンバーが僕よりも年下。
当時僕は31歳でしたが、多くのメンバーは20代。
20代の若い人たちにこんなことを言われるわけです。
しかも売っているのはTシャツ。
さらにお約束通り、閉店後にはオーナーが来て、ものすごい突き上げを喰らいます。
しかも結果を出さなきゃストールなんて売るのは絶対に無理だ!!みたいなことも言われて。
「まだ1週間も経っていないうちからよくわからないTシャツを売れって方が無理だろ!!」と心の中では思いましたが、口には出さず 笑
ちなみに僕も元々かなりの負けず嫌いですし、30代前半なんて血気盛んで特にそうでしたから、こんなことを言われたら自分も徹底的にやってやる!!と逆に闘争心に完全に火がつきました。
郷に入ったら郷に従えの言葉通り、まずはこの会社で一番Tシャツを販売できるようになって、周りに何も言わせないようにしてやる!と。
もちろん、初めは全然うまくいかずに何度も苦汁を舐める日々が続きました。
特に難しかったのはこの会社のTシャツを買うようなお客さんの多くが若い人が多かったこと。
中学生や高校生の若い子に31歳のおっさんがパンダやクマ、ウサギが印字されたTシャツを着て「このTシャツ可愛いでしょー!」とか言っているわけです・・・
普通に考えたらお客さんからしたって自分と近い販売員の方の方が親近感があるし、話しやすいですよね。
実際、この会社で一番売り上げを上げていたのは20代の女性スタッフ。
僕とは全然タイプが違うし、若い人の気持ちや感情もよく理解している。
もちろん、若いだけではなく、キャリアはかなりあるので商品知識についてもものすごく豊富。
彼女を超えることが僕の一つの目標になりました。
もちろん、他にもメンバーはたくさんいて僕は完全に底辺からのスタート。
皆から馬鹿にされながら、でも「いつか見てろ」と心の中で思いながら毎日販売現場という戦場に向かっていました。
正直言うともう2度とこの経験はしたくありませんが、おかげで販売という仕事に本気で向き合うことができ、この後の仕事における物凄い大きな財産になりました。
実際に現場に入って体感したことですが、ストールにせよTシャツにせよ、人が物を買う心理や何かを欲しくなる感情というのは全く同じなんですよね。
根源的な部分では中学生や高校生はもちろん、年配の方まで一緒で、さらに性別や趣味趣向も関係なくて。
それまでも座学でセールスや人間の行動心理についてはものすごく勉強していましたが、実際にお客さんと直に接して初めて理論が腹落ちする経験ができました。
あー、こういう感情で人は行動するんだなーとか、こういう気持ちになると商品を手に取っていただきやすくなるんだなーということが実感として理解できるようになってきて。
今まで学んできたことと、実際の現場で目の前で起こっていることが繋がった瞬間を何度も経験しました。
その度に、自分の販売や接客の理解が深まっていったんですよね。
初めは正直必死にお店の売り上げを上げる事だけ、個人予算で周りのメンバーを圧倒することだけを考えて取り組んでいましたが、結果的にはそれがこの時には功を奏し。
1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と月日を追うごとに結果はどんどん出るようになっていって、ついにはあの女性スタッフよりも販売ができるようになったんです。
そして、こうやって販売結果が出せるようになったことで、やっと自分達のストールを店頭に出せる機会をもらうことができて。
この時の嬉しさと言ったら、もう言葉にはできないほど。
ただ、この時に売っていたのはTシャツだけで、まだストールは一枚も売れていないんですけどね 笑
でもこの時のもう一つの教訓はさっきお話しした通り、商品がTシャツでもストールでもお客さんが何かを購入するときの感情というのは共通点があるということ。
こうしたことが分かりかけてきていたので、今度こそは自分たちのストールを見ず知らずのお客さんに手に取ってもらえるはず!という自信がもう一度芽生えてきていました。
そして、その年の年末年始の期間限定催事で初めてストールを松本パルコでお披露目することができたんです。
しかも、この時の催事は31日間という長丁場。
さらに、この時はもうアルバイトではなく、販売代行という形でナチュラルラウンジがこのTシャツ屋さんのTシャツを代行して販売してその手数料を受け取るという業務提携の形で行うことができたんです。
(この時初めて事業として契約書に捺印しました 笑)
こうなるともう催事の結果は完全に僕らの責任になります。
もちろん、大きな責任ですが、こちらの方がやりがいがあることは間違いありませんでしたし、何より会社の収益源としてこの販売手数料が入ってくることは願ってもないこと。
(まだ通販の本業は全然軌道に乗っていませんでした)
さらに、この時にもTシャツ屋の社長さんからはこの催事の結果が良ければまた次のことも考えたいと言ってもらっていたんですよね。
相手は結果主義の会社だったので、成果が出ない時は扱いが厳しかったですが、ひと
たび結果が出るようになると手のひらを返したように扱いが変わりました 笑
ただ、これは逆に言うと、常に結果を出し続けなければいけないことを意味していて、一度でもコケればおそらくストールを販売する機会はすぐに断たれてしまうだろうということも容易に想像できました。
こうしたこともあったので、こちらも主張するところはしっかりと主張し、当時はまだ僕しか店頭に立つことができていなかったのですが、この催事で結果を出せたら他のメンバーも店頭に立たせてほしい、というお願いもしていました。
自分達のストールに対するお客さんの反応を見ることができ、販売代行という業態で継続的に収益を上げることができる可能性が生まれ、この期間に本業を立て直す目処を立てられるかもしれない。
この年末年始の催事はナチュラルラウンジの今後の運命を賭けた絶対に失敗できないイベントだったと言っても過言ではありませんでした。
(当時の松本パルコさんの年末年始は集客力もかなりあって、こんな感じで開店前からお客さんが列を作って待っている状況でした)
そうして取り組んだ初めての催事。
ストールを販売させてもらえるとはいえ、その催事の大多数は販売代行元の会社のTシャツ。僕らのストールのディスプレイの範囲は全体の中のごく一部の区画。
(この写真の僕が立っている前の区画だけ)
このTシャツで予算の大部分を達成しながらストールを販売していくということをやっていかなければいけません。
なので、この時はこのバランスを取るのがとても難しかったです。
Tシャツの方が安価でディスプレイも豊富なのでお客さんの多くもTシャツに目を止めていかれる方が多いんです。
でも当然ですが、僕はストールを売りたくてしょうがない 笑
Tシャツの接客中も運よくストールに目を止めてくれるお客さんがいるとそっちに気がとられてしまって今までのような対応ができないこともありました。
特にストールラックの前で足を止めてくださるお客さんは本当に全体のごくごく一部だったので余計にそうなってしまったんですよね。
それでも催事全体の結果を出すためにはまずはTシャツ販売は必須。
この時の催事にはTシャツ屋さんのスタッフも一緒に店頭に立っていたので、自分が積極的にTシャツも売っていかないと示しもつかない状況でした。
なので、気持ちはストールに80%、Tシャツは20%くらいのものでしたが、実際に逆の比率で対応をして。
初日も年末ということもあり、おかげさまでTシャツの方は順調に売れていきましたが、午後に入ってからも肝心のストールはまだ一枚も売れていません。
でも昼過ぎのあるタイミングで、一人のお客さんがストールラックの前で立ち止まっています。
この時は運よくTシャツの接客はなかったので僕はフリー。
気がつけば、猛ダッシュでお客さんの元に駆け寄り、そこでまだ見ているだけの方にストールの魅力を熱弁してしまっていました・・・
今冷静に振り返ると絶対にお客さんは嫌だったと思いますし、こんな接客をされたら買いたいものも買いたくなくなると思うほど、、、
僕自身も口の中が乾くほど喋りまくった挙句
やってしまった・・・
と思いました。
でも、その後、この方は信じられない一言をおっしゃったんです。
「これ、いただきます」
えーーーー!!
いいんですか???
僕もあまりにも信じられない回答だったのでつい「いいんですか!?」なんて言ってしまいました。
でもこの女性は本当に購入してくださって 泣
ナチュラルラウンジのストールが今まで僕らと一切接点がなかった一般のお客さんに手に取っていただいた瞬間。
もうこの瞬間は11年立った今でも鮮明に覚えていますし、きっと一生忘れることができないと思います。
やっと、やっと今までやってきたことが少しだけ報われた、と思うことができました。
それと同時に、ものすごく自信にもなって。
やっぱりちゃんと実際にお客さんに見てもらえさえすれば商品の価値が伝わるということもよく分かりました。
今まではインターネット通販という直接目に見えない環境の中でやっていて、しかも実際のお客さんは頭の中だけに存在する想像の空想の人物。
これが初めて自分の目の前にいる人が実在するお客さんとして存在していて。
とても不思議な感覚でしたが、商品であるストールの魅力が正しくお客さんに伝わればこの方のようなお客さんがもっと増えていくだろうということは感覚的に理解できました。
そこからはもうエンジン全開。
初めてストールが売れたことでもうそれはそれは水を得た魚のようにイキイキと接客ができて。
Tシャツはもちろん、その後からはストールも少しずつ手に取ってくださるお客さんが増えてきました。
もちろん、今から振り返るとごくごくわずかですが、それでも当時の自分たちにとっては信じられない枚数のストールがお嫁に行きました。
気がつけば31日間の催事で予定以上のストールを販売することができて。
もちろん、催事全体の結果も予算も楽々クリアしたことは言うまでもありません。
そして、無事に次の催事の話もいただくことができました。
ただ、僕はこの催事が終わった瞬間に39度以上の熱を出してぶっ倒れましたけど 笑
そして、この催事の後は本業に集中するために各自が掛け持ちしていたアルバイトをと卒業させてもらい、この経験を元に当時事務所だった場所を店舗として自分たちで改装をしてお客さんに直接ストールを見てもらえる環境を作りました。
(外壁塗りをするMoto。事業はまだまだ大変でしたが楽しそうです 笑)
手作りでチラシを作り、それを自分たちでの足で市内はもちろん、隣町までポスティングをして周り、新聞折込も毎月行い、松本のお店への集客に力を入れました。
そうするとポツポツとですが、1日に数人のお客さんが松本のお店に足を運んでくださることが増えてきて。
この実店舗と期間限定の催事でのストール販売で少しずつ、実際のお客さんに接する機会が増え、どういう人がストールを欲しているのか?どんな気持ちでストールを手に取ってくださるのか?どんな感情を感じているのか?こういうことを理解できるようになってきました。
この経験を今度はインターネット通販に活かし、当時「男性ストール専門店」だった方向性を切り替え、2015年には通販サイトをもう一度ゼロから設計し直し、サイトもリニューアルしました。
そこから少しずつ少しずつインターネット通販でもストール販売ができるようになっていったんです。
実際にインターネット通販が軌道に乗るまでは4年ほどかかりましたが、ここからはかなり安定的に事業を成長させることができています。
こうした一連の経験があったからこそ、インターネットが当たり前になった今でも実店舗も構え続けていますし、県外での催事出店も定期的に続けるようにしています。
何よりも一番大きかったことは、メインの事業としてインターネット通販をしていても、自然と画面の向こうにいるお客さん一人一人を意識して、お客さんとの関係性を一番大切にしようと考えて事業運営をすることができるようになったこと。
おかげさまで、開業してから11年経った今でも当時からずっとお店を利用してくださっている方もいらっしゃいますし、日々このメルマガ&ブログを欠かさず見てくださっている方もいらっしゃいます。
この11年の間に僕らはもちろん、お客さん一人一人の環境も色々と変わってきていますが、こうした中でも関係が続いていることが本当にありがたく思います。
常日頃から感じていますが、本当に今このブログを読んでくださっているあなたはお客さんたちには感謝しかありません。
いつも本当にありがとうございます。
これからも開業当時の初心を忘れずに、初めてストールを手に取っていただいた瞬間の感動を忘れずに、そして、もう2度としたくないような苦い経験も忘れずに(笑)これからもこの事業と共に成長していきたいと思っています。
そして、年数を重ねれば重ねるほど、お客さんの期待を超えていけるようなより良いお店にできるよう、日々精進していきます。
最後に、当時からそして今までずっと支えてくれているMotoをはじめ、家族や友人、前職の会社の会長や社長、社員の方達、Tシャツ屋の社長さんや当時のメンバー、インドやイタリア、日本のストール生産者の人たち、日本で協力してくださっているさまざまなビジネスパートナーに感謝しながら今日の話を終わりにしたいと思います。
冒頭で簡潔にお話しするなんて言っていましたが、気がつけば結局11000文字を超えてしまっていました 汗
(11周年だからある意味ちょうどいいですけど 笑)
こんなに長い文章を最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。
最後は毎年恒例の僕とMotoのツーショットで締めたいと思います 笑
今日から始まる12年目からもどうぞよろしくお願いします!
もうタイトルに書いてしまっているので、そのまんまなのですが 笑
そう、今日はナチュラルラウンジの開業記念日なんです。
おかげさまで無事に11周年を迎えることができました。
いつもこのメルマガ&ブログを読んでいただき、お店や通販サイトをご利用いただき本当にありがとうございます。
そして、毎年この日に決まって思い出すのはやっぱり起業当時のこと。
この話も9月14日を迎えるたびにしているような気がしますが、やっぱりとても濃い期間だったこともあり、どうしてもこの話題になってしまうんですよね。
そして、これも毎回ですが、どうしてもこの話は長くなってしまいます 汗
出来るだけ簡潔に話そうと思いますが、多分、今日も長くなってしまうと思いますので、お時間があるときにご覧いただければ嬉しいです。
僕らがお店として正式に開業したのはまさに11年前の今日である2013年の9月14日。
意気揚々と開業届を出し、念願だった独立起業を果たしました。
開業日は9月14日でしたが、実際には開業前からさまざまな準備をしていたんです。
ストールが大好きなら商品として扱う前に自分で作ってみる経験は絶対に必要だ!と考え、奈良の山奥に泊まり込みで籠り、ストール製作を実際にやってみたり。
(この時僕が実際に作ったウールストールはこちらです 笑)
当時日本で一番、と言われていた技術士の方に直接繊維やアパレルの知識について指導してもらったり。
(この人たちと繋がるまでにたくさんのセミナーに参加してやっと直接お話をさせていただく機会が作れました)
商品であるストールは2013年の冬からインドに3ヶ月以上滞在し、何も情報がないところから自分達で一つ一つ調べ、直接現場に足を運び、ストールの原毛や生産者の仕事を確認しました。
また、インド滞在中には同時並行で、繊維やアパレルのこと、マーケティングやセールス、会計や財務などの事業運営に必要な知識についても日々学んでいました。
インドではこの3ヶ月の間になんとか当時自分達が最高!と思えるようなストールを現地で買い付けることができ、日本に持ち帰り、商品化の準備を進めました。
その後、地元信州大学の繊維学部に入り浸って買い付けてきたストールに使われている繊維一つ一つを電子顕微鏡で調べ、他のストールとの違いや優位性を感覚だけでなく数字でもしっかりと把握したり。
自分達の理想のお客さん像を想像して、その人物像にぴったりの人にインタビューもさせてもらい、どんな訴求をすればお客さんになり得る人が反応してくれるだろうか?ということも毎日考え、議論したりしていました。
(ちなみに、この時のお客さん像は男性でした 笑)
商品の販売用のホームページを作れるような制作会社さんやフリーランスの方を探しつつ、自分達でもプログラミングやデザイン、コピーライティング、広告運用についても猛勉強をしました。
当時この開業日までに通販サイトを作り込み、お客さんに注文してもらえる状況を作る!ということを一番初めの目標に掲げて日々さまざまなことに取り組んでいたんです。
そして、いよいよ9月が近づくにつれ、通販サイトも当時の自分達の中では理想的なサイトに近づきつつあり、商品周りの部材や発送準備についても万端!という状況が出来上がりました。
もし、開業と同時に怒涛のように受注が入ってきて商品が足りなくなってしまったら大きな機会損失になってしまう!ということで、ここで日本とインドで二手に分かれ、Motoはインド現地で待機をすることに。
そしていよいよ9月14日の開業&サイト開設日。
通販サイトを一般公開して、ストールの注文が殺到するのを今か今かと待ちます。
ですが、10分経っても、30分経っても、1時間経っても注文は一件も入らない・・・
当時は午前中に開業届を提出し、ちょうど正午くらいにサイトを開設して注文を待っていましたが、その日が終わるまでに注文はおろか、問い合わせの電話やメールも一件もない状況。
当時もなぜか根拠のない自信だけはあったので、こんな素晴らしいストールが売れないなんてこれは絶対に何かおかしい!と思い、自分達以外の外部の要因が影響しているのではないかということをまず初めに疑ったんです。
実はインターネット回線が切れてしまっているんじゃないか?
お店がインターネット上に正しく表示されていないんじゃないか?
サイトを公開した直後はお客さんにはまだ見えないんじゃないか?
でも、どれを確認しても全く問題ありません。
もちろん、問題は完全に自分達の方にありました・・・
そして、ここからストールを初めて販売するまでの長い長い道のりが始まります。
さっきもお話しした通り、ストールが売れなかったのは外部環境は全く関係がなく、全ては自分達の実力のなさが原因だったのですが、当時は未熟で本当にそんなことが全然考えられなかったんですよね・・・
でもさすがに1週間、1ヶ月、3ヶ月と注文が全く入らない状況が続くと、明らかにこれはやり方が間違っているということが理解できて。
日々の事業費用はどんどんと嵩んでいき、毎月毎月完全に赤字・・・という状況が続いていました。
このまま行くともう開業準備をしてきた資金が尽きてしまう、ということでメンバーがそれぞれアルバイトを複数掛け持って、そのアルバイト資金を事業資金に投入し、なんとか日々の運転資金を賄っていました。
もちろん、自分達の生活費は極限まで抑えて。
当時はコンビニやスーパーでおにぎりを一つ買うのもどうしようか考えたことも何度もあります。
ただそんなことよりも一番怖かったのは資本金が底を尽き、廃業してしまうこと。
これだけは絶対に避けたかったので、当時考えられることは本当に全てやりました。
ちなみに、今は辞めてしまいましたが、開業当時は3人のメンバーがいて、それぞれアルバイトの内容にも特徴がありました。
僕は本業がストール専門店だから実務としてこれに少しでも役立つ業種がいいと考えて、アパレル販売やセレクトショップのアルバイトを掛け持っていました。
今はやめてしまったメンバーは物販であっても接客やサービスが大事だと考えて、居酒屋を複数掛け持って日中は事業活動を夜はアルバイトをするという生活。
(彼は今のお店である事務所に寝泊まりをしていて、毎日ほとんど寝ていませんでした)
そして当時から役割がバイヤーだったMotoはやっぱり体力勝負!ということで、ドカタのアルバイトをしていました 笑
とにかく皆必死で事業活動もしていましたし、流血状態の事業を生かすためにアルバイトも全力でやっていました。
ただ、やっぱりアルバイトをかけもちながらの事業活動はどうしても色々と無理があって。
僕がやっていたアルバイトはアパレル販売だったので日中の8時間はアルバイトに取られてしまう状況でしたから、早朝とアルバイトが終わった夜間に本業の仕事をしていました。
でも日中に8時間取られてしまうのはやっぱりかなり厳しくて。
体力はもちろん、メンタル的にも結構キツかったです。
今でこそ、健康第一!なんて声を大にして言っていますが、当時はもう健康のことなんて全く考えられなくて。
そして、当時の一番の問題は時間が分散してしまうことで、本業だけに集中している場合に比べて、成果が出にくくなり、さらに結果が出るまでの時間も長くなっていたこと。
ただでさえ、経験も知識もノウハウも人脈も0の状態で起業しましたから、この状況で時間もない、となるともう本当に”ないない尽くし”・・・
いつになったら商品であるストールが売れるのか?
自分でもわからなくなりそうな感覚に襲われます。
商品自体は当時から人の肌にも体にも優しい天然繊維100%だけにこだわって肌触りの良いものだけを厳選していましたから、本当にストールの品質に関してはものすごく良かったです。
そして、何より自分自身が大好きな商品だったので、なんでこんな素晴らしい商品が売れないのか?意味が全然わからなくて。
こうなると、自分自身はもちろん、メンバー全員が疑心暗鬼になってしまってもおかしくありません。アルバイトは時間を投じれば確実に対価が入ってくる一方、事業では全く成果が上がらない・・・
これは今思い出しても本当に苦しかったです、、、
特に僕の場合はMotoともう一人のメンバーを起業というものすごくリスクが高く不確実な世界に巻き込んでしまっているということもあって、厳しい現実を突きつけられ、自分の実力のなさと不甲斐なさに直面し、言葉にならない不安と恐怖に駆られたこともあります。
それでも、言い出しっぺの責任があったことはもちろん、「こんな良いストールを誰にも知ってもらえないまま終わるわけにはいかない!」「いつか必ず好転させることができるはず!」という気持ちだけはずっと持っていました。
それに、これだけ素晴らしい商品なんだから、今足りないのは自分達の伝え方やアプローチの方法だということにはこの時にも薄々感じてはいました。
ただ、どうやったら見ず知らずの人に名も無いストール屋のストールを手に取ってくれるようになるのか?ということは当時は全然わからなくて。
毎日どうやったらこのストールが売れるのか?ということを考えて、考えたことを実行しながら日々試行錯誤していましたが、相変わらずストールは一枚も売れず・・・
商売の難しさを体感すると共に、自分の考えがいかに甘かったか、ということを痛感させられました。
こうした中でも家族や友達などはストールを手に取ってくれたりしていたのですが、一般のお客さんにはまだ一枚も購入してもらえていない状況でした。
こんな状況が半年ほど続いていた時、事業資金がさらに厳しくなり、他のアルバイトも探さなければいけない状況になってしまったんです・・・
アルバイトに申し込むときも、本業のことを隠してアルバイトをしたくなかったので、全部本当のことを伝えていました。
「自分はストールの専門店を立ち上げたばかりで、今は本業で食べていけないこと。でも事業にかける想いはものすごく強く持っていること。今後のためにアパレル販売の経験を積みたいこと。あくまでアルバイトは一時的であること」を伝えていました。
でも、企業側からしたらこんなアルバイトは正直雇いたくないですよね・・・
もう確実に辞めることが決まっている人間を喜んで受け入れてくるようなところはなかなかないと思います。
実際にアルバイトの応募も落ちまくりました 苦笑
本業もボロボロでアルバイトも不採用、自分が選んでやっていたこととはいえ、結果だけを見ると本当に最悪で、自己イメージもめちゃくちゃ下がりました・・・
そんな中でも何社かの会社さんはこんな自分を採用してくれて、未経験の僕に一から丁寧に指導をしてくれた店長さんやスタッフの方もいたんですよね。
しかもみんな僕が話す夢ややりたいことを応援してくれていたんです。
当時はこうしたことが嬉しくて、それでアルバイトも頑張ってしまって、本業が全然前に進まないことに罪悪感を持つということもありました。
そんな日々が続いたある日、同じタイミングで以前アルバイトの応募をしていた小さなアパレルショップの社長さんから突然電話がかかってきたんです。
「募集要項に書かれていた内容に興味が沸いたので電話させてもらいました。文章を読んでいるとまるで昔の自分を見ているように感じました。
もし良ければ一度うちでアルバイトをしてみませんか?
もし結果が良ければ御社のストールを店頭で販売する機会も考えています。ただうちは相当厳しい現場だから半端な気持ちでは続かないと思う・・・それでも良ければどうですか?」
と。
今までは社長さんから直接連絡が来たことなんてありませんでしたし、アルバイトの採用だけでも嬉しいのに、さらにもし結果が良ければストールを販売する機会ももらえるかもしれない・・・
こんな話もう2度とない!と思い、二つ返事で「やります!!」と答えました。
ちなみに、この会社さんは県外に本社がある会社なのですが、松本のランドマーク的な存在であったパルコさんに出店していたんです。
さらに常設店だけでなく期間限定の催事出店にも力を入れていて。
この催事出店の際のアルバイト要因として僕は採用してもらったんです。
ただ、実際にやってみると、この社長さんが言っていたように現場はものすごく厳しくて。
正直、今まで僕が前職でやってきた厳しさとはまた違うジャンルの厳しさがありました 笑
もう今は時効だと思うのでぶっちゃけてしまいますが、まず日々の予算がめちゃくちゃ厳しい。
それに個人スタッフの予算が決められていて、これもめちゃくちゃハードルが高い。
これ、どうやっても無理じゃないか?という予算が普通に設定されているんです。
(今までの履歴にも目を通しましたが、実際はほとんど予算を達成している日はありませんでした 苦笑)
それを達成できないと店が閉まった後にオーナーが来てものすごい罵詈雑言を浴びせられます。
アルバイトを始めた数日はさすがに僕に矛先が向くことはありませんでしたが、もともといたスタッフへのあたりは物凄かったです・・・
中には叱られすぎて泣いてしまうスタッフがいたり、怒られるのを避けるために自分で自社の商品を買ってお金をレジに入れていたり。
中には、メンタルを病んでしまい途中から突然出勤しなくなってしまう販売員もいました・・・
また、販売員もこうした圧をかけられている中なので、一度話しかけたお客さんにスッポンのように張り付いて、商品を買うまで帰さないようなアプローチをしているメンバーもいたり。
さらに個人予算が厳しため、全体予算よりも個人予算至上主義が蔓延していて、トータルで予算を達成することよりも個人が自分の予算を達成するために動くことが圧倒的に多くなっていました。
こうなるとチームワークなんて言葉はなく、もはや内情は販売員同士でお客さんの取り合いになっている状況・・・
これはなかなか厳しいですよね 苦笑
こうした現実を見るにつけ、アパレル販売現場の厳しさを体感すると共に、自分の会社ではどんなことがあってもこうしたことはしない、と強く心に誓いました。
そして、数日後には皆の鬱憤の矛先が僕の方に向くわけです 笑
あれっ?
みんな俺が今週から初めて現場に入ったの忘れていない?
と突っ込みたくなるような扱い。
「山崎さん、やる気あります?」
「今日の予算確認しました?」
「売れないんだったら裏に下がっていてもらっていいですか?」
こんなことを言われたことは一度や二度ではありません。
しかもほとんどのメンバーが僕よりも年下。
当時僕は31歳でしたが、多くのメンバーは20代。
20代の若い人たちにこんなことを言われるわけです。
しかも売っているのはTシャツ。
さらにお約束通り、閉店後にはオーナーが来て、ものすごい突き上げを喰らいます。
しかも結果を出さなきゃストールなんて売るのは絶対に無理だ!!みたいなことも言われて。
「まだ1週間も経っていないうちからよくわからないTシャツを売れって方が無理だろ!!」と心の中では思いましたが、口には出さず 笑
ちなみに僕も元々かなりの負けず嫌いですし、30代前半なんて血気盛んで特にそうでしたから、こんなことを言われたら自分も徹底的にやってやる!!と逆に闘争心に完全に火がつきました。
郷に入ったら郷に従えの言葉通り、まずはこの会社で一番Tシャツを販売できるようになって、周りに何も言わせないようにしてやる!と。
もちろん、初めは全然うまくいかずに何度も苦汁を舐める日々が続きました。
特に難しかったのはこの会社のTシャツを買うようなお客さんの多くが若い人が多かったこと。
中学生や高校生の若い子に31歳のおっさんがパンダやクマ、ウサギが印字されたTシャツを着て「このTシャツ可愛いでしょー!」とか言っているわけです・・・
普通に考えたらお客さんからしたって自分と近い販売員の方の方が親近感があるし、話しやすいですよね。
実際、この会社で一番売り上げを上げていたのは20代の女性スタッフ。
僕とは全然タイプが違うし、若い人の気持ちや感情もよく理解している。
もちろん、若いだけではなく、キャリアはかなりあるので商品知識についてもものすごく豊富。
彼女を超えることが僕の一つの目標になりました。
もちろん、他にもメンバーはたくさんいて僕は完全に底辺からのスタート。
皆から馬鹿にされながら、でも「いつか見てろ」と心の中で思いながら毎日販売現場という戦場に向かっていました。
正直言うともう2度とこの経験はしたくありませんが、おかげで販売という仕事に本気で向き合うことができ、この後の仕事における物凄い大きな財産になりました。
実際に現場に入って体感したことですが、ストールにせよTシャツにせよ、人が物を買う心理や何かを欲しくなる感情というのは全く同じなんですよね。
根源的な部分では中学生や高校生はもちろん、年配の方まで一緒で、さらに性別や趣味趣向も関係なくて。
それまでも座学でセールスや人間の行動心理についてはものすごく勉強していましたが、実際にお客さんと直に接して初めて理論が腹落ちする経験ができました。
あー、こういう感情で人は行動するんだなーとか、こういう気持ちになると商品を手に取っていただきやすくなるんだなーということが実感として理解できるようになってきて。
今まで学んできたことと、実際の現場で目の前で起こっていることが繋がった瞬間を何度も経験しました。
その度に、自分の販売や接客の理解が深まっていったんですよね。
初めは正直必死にお店の売り上げを上げる事だけ、個人予算で周りのメンバーを圧倒することだけを考えて取り組んでいましたが、結果的にはそれがこの時には功を奏し。
1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と月日を追うごとに結果はどんどん出るようになっていって、ついにはあの女性スタッフよりも販売ができるようになったんです。
そして、こうやって販売結果が出せるようになったことで、やっと自分達のストールを店頭に出せる機会をもらうことができて。
この時の嬉しさと言ったら、もう言葉にはできないほど。
ただ、この時に売っていたのはTシャツだけで、まだストールは一枚も売れていないんですけどね 笑
でもこの時のもう一つの教訓はさっきお話しした通り、商品がTシャツでもストールでもお客さんが何かを購入するときの感情というのは共通点があるということ。
こうしたことが分かりかけてきていたので、今度こそは自分たちのストールを見ず知らずのお客さんに手に取ってもらえるはず!という自信がもう一度芽生えてきていました。
そして、その年の年末年始の期間限定催事で初めてストールを松本パルコでお披露目することができたんです。
しかも、この時の催事は31日間という長丁場。
さらに、この時はもうアルバイトではなく、販売代行という形でナチュラルラウンジがこのTシャツ屋さんのTシャツを代行して販売してその手数料を受け取るという業務提携の形で行うことができたんです。
(この時初めて事業として契約書に捺印しました 笑)
こうなるともう催事の結果は完全に僕らの責任になります。
もちろん、大きな責任ですが、こちらの方がやりがいがあることは間違いありませんでしたし、何より会社の収益源としてこの販売手数料が入ってくることは願ってもないこと。
(まだ通販の本業は全然軌道に乗っていませんでした)
さらに、この時にもTシャツ屋の社長さんからはこの催事の結果が良ければまた次のことも考えたいと言ってもらっていたんですよね。
相手は結果主義の会社だったので、成果が出ない時は扱いが厳しかったですが、ひと
たび結果が出るようになると手のひらを返したように扱いが変わりました 笑
ただ、これは逆に言うと、常に結果を出し続けなければいけないことを意味していて、一度でもコケればおそらくストールを販売する機会はすぐに断たれてしまうだろうということも容易に想像できました。
こうしたこともあったので、こちらも主張するところはしっかりと主張し、当時はまだ僕しか店頭に立つことができていなかったのですが、この催事で結果を出せたら他のメンバーも店頭に立たせてほしい、というお願いもしていました。
自分達のストールに対するお客さんの反応を見ることができ、販売代行という業態で継続的に収益を上げることができる可能性が生まれ、この期間に本業を立て直す目処を立てられるかもしれない。
この年末年始の催事はナチュラルラウンジの今後の運命を賭けた絶対に失敗できないイベントだったと言っても過言ではありませんでした。
(当時の松本パルコさんの年末年始は集客力もかなりあって、こんな感じで開店前からお客さんが列を作って待っている状況でした)
そうして取り組んだ初めての催事。
ストールを販売させてもらえるとはいえ、その催事の大多数は販売代行元の会社のTシャツ。僕らのストールのディスプレイの範囲は全体の中のごく一部の区画。
(この写真の僕が立っている前の区画だけ)
このTシャツで予算の大部分を達成しながらストールを販売していくということをやっていかなければいけません。
なので、この時はこのバランスを取るのがとても難しかったです。
Tシャツの方が安価でディスプレイも豊富なのでお客さんの多くもTシャツに目を止めていかれる方が多いんです。
でも当然ですが、僕はストールを売りたくてしょうがない 笑
Tシャツの接客中も運よくストールに目を止めてくれるお客さんがいるとそっちに気がとられてしまって今までのような対応ができないこともありました。
特にストールラックの前で足を止めてくださるお客さんは本当に全体のごくごく一部だったので余計にそうなってしまったんですよね。
それでも催事全体の結果を出すためにはまずはTシャツ販売は必須。
この時の催事にはTシャツ屋さんのスタッフも一緒に店頭に立っていたので、自分が積極的にTシャツも売っていかないと示しもつかない状況でした。
なので、気持ちはストールに80%、Tシャツは20%くらいのものでしたが、実際に逆の比率で対応をして。
初日も年末ということもあり、おかげさまでTシャツの方は順調に売れていきましたが、午後に入ってからも肝心のストールはまだ一枚も売れていません。
でも昼過ぎのあるタイミングで、一人のお客さんがストールラックの前で立ち止まっています。
この時は運よくTシャツの接客はなかったので僕はフリー。
気がつけば、猛ダッシュでお客さんの元に駆け寄り、そこでまだ見ているだけの方にストールの魅力を熱弁してしまっていました・・・
今冷静に振り返ると絶対にお客さんは嫌だったと思いますし、こんな接客をされたら買いたいものも買いたくなくなると思うほど、、、
僕自身も口の中が乾くほど喋りまくった挙句
やってしまった・・・
と思いました。
でも、その後、この方は信じられない一言をおっしゃったんです。
「これ、いただきます」
えーーーー!!
いいんですか???
僕もあまりにも信じられない回答だったのでつい「いいんですか!?」なんて言ってしまいました。
でもこの女性は本当に購入してくださって 泣
ナチュラルラウンジのストールが今まで僕らと一切接点がなかった一般のお客さんに手に取っていただいた瞬間。
もうこの瞬間は11年立った今でも鮮明に覚えていますし、きっと一生忘れることができないと思います。
やっと、やっと今までやってきたことが少しだけ報われた、と思うことができました。
それと同時に、ものすごく自信にもなって。
やっぱりちゃんと実際にお客さんに見てもらえさえすれば商品の価値が伝わるということもよく分かりました。
今まではインターネット通販という直接目に見えない環境の中でやっていて、しかも実際のお客さんは頭の中だけに存在する想像の空想の人物。
これが初めて自分の目の前にいる人が実在するお客さんとして存在していて。
とても不思議な感覚でしたが、商品であるストールの魅力が正しくお客さんに伝わればこの方のようなお客さんがもっと増えていくだろうということは感覚的に理解できました。
そこからはもうエンジン全開。
初めてストールが売れたことでもうそれはそれは水を得た魚のようにイキイキと接客ができて。
Tシャツはもちろん、その後からはストールも少しずつ手に取ってくださるお客さんが増えてきました。
もちろん、今から振り返るとごくごくわずかですが、それでも当時の自分たちにとっては信じられない枚数のストールがお嫁に行きました。
気がつけば31日間の催事で予定以上のストールを販売することができて。
もちろん、催事全体の結果も予算も楽々クリアしたことは言うまでもありません。
そして、無事に次の催事の話もいただくことができました。
ただ、僕はこの催事が終わった瞬間に39度以上の熱を出してぶっ倒れましたけど 笑
そして、この催事の後は本業に集中するために各自が掛け持ちしていたアルバイトをと卒業させてもらい、この経験を元に当時事務所だった場所を店舗として自分たちで改装をしてお客さんに直接ストールを見てもらえる環境を作りました。
(外壁塗りをするMoto。事業はまだまだ大変でしたが楽しそうです 笑)
手作りでチラシを作り、それを自分たちでの足で市内はもちろん、隣町までポスティングをして周り、新聞折込も毎月行い、松本のお店への集客に力を入れました。
そうするとポツポツとですが、1日に数人のお客さんが松本のお店に足を運んでくださることが増えてきて。
この実店舗と期間限定の催事でのストール販売で少しずつ、実際のお客さんに接する機会が増え、どういう人がストールを欲しているのか?どんな気持ちでストールを手に取ってくださるのか?どんな感情を感じているのか?こういうことを理解できるようになってきました。
この経験を今度はインターネット通販に活かし、当時「男性ストール専門店」だった方向性を切り替え、2015年には通販サイトをもう一度ゼロから設計し直し、サイトもリニューアルしました。
そこから少しずつ少しずつインターネット通販でもストール販売ができるようになっていったんです。
実際にインターネット通販が軌道に乗るまでは4年ほどかかりましたが、ここからはかなり安定的に事業を成長させることができています。
こうした一連の経験があったからこそ、インターネットが当たり前になった今でも実店舗も構え続けていますし、県外での催事出店も定期的に続けるようにしています。
何よりも一番大きかったことは、メインの事業としてインターネット通販をしていても、自然と画面の向こうにいるお客さん一人一人を意識して、お客さんとの関係性を一番大切にしようと考えて事業運営をすることができるようになったこと。
おかげさまで、開業してから11年経った今でも当時からずっとお店を利用してくださっている方もいらっしゃいますし、日々このメルマガ&ブログを欠かさず見てくださっている方もいらっしゃいます。
この11年の間に僕らはもちろん、お客さん一人一人の環境も色々と変わってきていますが、こうした中でも関係が続いていることが本当にありがたく思います。
常日頃から感じていますが、本当に今このブログを読んでくださっているあなたはお客さんたちには感謝しかありません。
いつも本当にありがとうございます。
これからも開業当時の初心を忘れずに、初めてストールを手に取っていただいた瞬間の感動を忘れずに、そして、もう2度としたくないような苦い経験も忘れずに(笑)これからもこの事業と共に成長していきたいと思っています。
そして、年数を重ねれば重ねるほど、お客さんの期待を超えていけるようなより良いお店にできるよう、日々精進していきます。
最後に、当時からそして今までずっと支えてくれているMotoをはじめ、家族や友人、前職の会社の会長や社長、社員の方達、Tシャツ屋の社長さんや当時のメンバー、インドやイタリア、日本のストール生産者の人たち、日本で協力してくださっているさまざまなビジネスパートナーに感謝しながら今日の話を終わりにしたいと思います。
冒頭で簡潔にお話しするなんて言っていましたが、気がつけば結局11000文字を超えてしまっていました 汗
(11周年だからある意味ちょうどいいですけど 笑)
こんなに長い文章を最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。
最後は毎年恒例の僕とMotoのツーショットで締めたいと思います 笑
今日から始まる12年目からもどうぞよろしくお願いします!
コメント
11年記念おめでとうございます。色々の道のりのご苦労、今に繋がっていらっしゃるのですね。
その記念日に主人と訪問できたのも、何かの御縁かな、と思ったり。どうぞこれからもお元気で、素敵なストール紹介してくださいね。
お写真の山崎さんのしていらっしゃるお月さまが映っているストール、
お洒落で、良くお似合いになってます。
全然違う話になりますが、アンケートのお願いのメールが来ましたが、先日、帰り際にお渡ししました。今一度、お調べ下さいませ。
金沢から夫婦でお邪魔した、宮森でした。
宮森さん
コメントありがとうございます。
また、お祝いのメッセージもありがとうございます!
おかげさまで無事に11周年を迎えることができました。
当日は遠方からわざわざご来店くださり、本当にありがとうございます。
宮森さんにも直接ストールをご覧いただけたことはもちろん、旦那様にもこれをきっかけに少しでもストールに興味を持っていただければ嬉しいです。
旦那様にもよろしくお伝えください。
アンケートについては大変失礼いたしました。
確実に受け取っていますので今後の商品・サービス・コンテンツの改善に活かしていきます。
いつもブログにも目を通していただきありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
山崎