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播州織の歴史♪



おはようございます。
Natural LoungeのMotoです。


いやー暑い!
暑すぎます。


はっきり言ってこの暑さはやばいですよ。
比較的涼しいはずの長野県ですらこの暑さ・・・。



あなたの地域はどうですか?



それは聞かずとも暑いに決まってますよね。笑
しかも外はこの暑さなのに、交通機関や公共の施設は冷房が効きすぎている場合があって寒いんですよね。
暑い外から逃げるように入った瞬間は涼しくて助かりますが、5分も経つと今度は急に寒くなるというお決まりのパターン・・・。



あなたもこの夏そんな経験をされたのではと思いますが、冷房による冷えは体調不良の原因にもなるんですよね。
特に自分で温度管理ができない空間では手持ちの衣類で調整するほかありません。
そんな時は、ブランケットやストールを上手に使ってくださいね!



特にストールは薄いので畳めば鞄の中にコンパクトに収まります。
持ち運びにも向いているし、持っていても邪魔にならないアイテムなので、ぜひあなたもお手持ちのストールを冷房対策にご活用ください。
きっと重宝するはずです。



なんにしても本当に暑いですからね。
体調管理に気をつけていきましょう!



さて、先日播州織についてブログに書きましたが、今日はその続きをご覧いただきたいと思います。
播州織にはどんな歴史があるのか。
少し社会科の勉強みたいな感じになりますが、ぜひ日本の織物の歴史に触れてみてください!


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回の続き・・・


〜播州織の歩み〜


ここまで日本の織物について話をしてきましたが、
昨年の夏Natural Loungeが出会ったのが兵庫県西脇市に江戸時代から伝わっている播州織です。



あなたも播州織をご存知かもしれませんが、西脇市は江戸時代から綿花の栽培が盛んで、豊富な水資源を生かした先染めが1750年頃から始まりまったと言われています。
(地域を流れる加古川を始めとした3つの川の軟水が染色に適しているのだと生産者に教えてもらいました)



僕らのお店がある長野県は養蚕が盛んで絹を使った織物が知られていますが、一方で西脇市は綿花の栽培が盛んだったことを考えると、日本にもやはりその土地の気候や生活に合った服飾文化があったのだとわかります。



そして1792年に宮大工の飛田安兵衛が京都から機織の製造技術を持ち帰ったことで織物の生産が盛んになりました。
明治初期にはおよそ70軒の綿布業者があったと記録も残っていて、この頃には播州織が地域における重要な産業になっていたことがうかがえます。



そして1906年。
織物品評会で”播州織”の名称が初めて登場し、そこから播州織は大きく発展します。
1913年に播州鉄道の開通と当時の日本経済の盛り上がりとともに播州織の名前は全国で知られるようになり、関東大震災後に貿易の中心が横浜から神戸に移ると輸出産地として更なる飛躍を遂げました。



第一世界大戦までは国内向けの着尺地(バンタツ)を中心としていたものの、戦後は海外市場に転じ、東南アジア向けの先物織物の販路拡大に成功。
昭和に入ると、生産規模が飛躍的に拡大し業者数は約270軒、機織台数は8300台を数えました。



播州織工業協同組合さんの説明では、この頃が播州織の第1次黄金期と呼ばれ、「ガチャ萬」時代とも言われたそうです。
ちなみにガチャ萬は、当時機織が一度“ガチャ”っと音がしたら一万円儲かると言われたことから、そう呼ばれるようになったとか。
バブルを知らない僕らの世代にとってみるとなんとも羨ましい話です。笑



一番良かった時には機織機台数は16368台にもなり、1987年に生産量はピークに達したそうです。
僕が生まれたのが1983年なので、まさにその頃だったんですね。



ただし不況にも遭います。
他の日本の産業同様1971年、1985年の円高の節目に輸出不信から国内へシフトすると安価な輸入製品の影響で生産は激減。
その後は厳しい状況が長年続きました。



一方でそんな難しい時期を過ごした播州織も、近年街をあげて更なる発展に力を入れ、今は日本中から再び注目を集めています。
その代表的な取り組みとして、西脇ファッション都市構想は播州織産地へ移住でやってくる若手デザイナーを受け入れ、ファッションクリエイターに育てる活動に力を入れています。


播州織の特長である、生地の開発から糸の染め、織り、加工まで、技術を持った職人とともに、すべて産地の中で一貫生産ができる強みを活かして、現代にあった新たな播州織の道を歩きはじめました。



続く・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



え?朝から二度寝しそうになった!?笑



年号とか出てくると急に眠気が襲いますよね。笑
ただ、今回は播州織についてまとめていますが、きっと日本の織物の歴史はどの産地も通じる部分があるはずです。



明治から大正にかけて大きく発展した一方で近年は安価な輸入製品に押され生産規模は縮小。 これは全国どこの産地も同じ状況だと思います。



ただそうした中でもなんとか伝統を守ろうと様々な取り組みをしてくださった生産者さんのおかげで、今もまだこうして日本製の織物に僕らが触れることができるんですよね。



そんな貴重な産地の中で僕らが出会ったのが播州織です。
これからその魅力を少しでもあなたにお伝えできればいいなと思います。



それでは今日も一日頑張りましょう!



コメント

播州織の歴史♪」への2件のフィードバック

  1. Avatar匿名

    真面目なお話なのですが、朝から二度寝(笑)クスッて笑って元気でましたー(^o^)/🌈
    (播州織りについては触れないんかーいみたいな(笑)いえいえラベンダー色、この夏毎日ヘビーユーズさせていただいています🙏✨洗っても柔らかく馴染む感じで本当にいい感じです🙏✨)
    東京都i

    返信
    1. Avatarnaturallounge.jp

      東京都iさん
      コメントありがとうございます!
      そうなんですよね。まったく播州織には触れていないという。笑
      まだ書いている最中なので、また完成した際にはご覧ください。
      今まで国内でも様々な産地を調べてストールもチェックしてきましたが、播州織はとても風合いが良いんですよね。
      気に入っていただけているようで嬉しいです♪
      Moto

      返信

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Profile
Moto
Moto
1983年長野県生まれ。木曽在住。
Natural Lounge副代表、バイヤー。
気がつけばストールの奥深さに魅了され、世界中のストールを探している。
様々な国のストールを扱う中で、誰が、どんな場所で、どのように作っているのか、
現地訪問し生産者と直接対話して買付をするのがモットー。
特にインド人、イタリア人との相性は抜群。

趣味は地元である木曽で、キノコ採りや山菜採り、渓流釣りをして四季を満喫すること。
20代、30代と海外の様々な場所を訪れた経験から、今は地元に魅力を感じ地域の活動にも力を入れている。
あなたがつい”クスッ”と笑ってリラックスできるようなブログをお届けしたいと思っています。


2023.08.01

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