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『 世界遺産!富岡製糸場のセンス 』

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おはようございます。
先日の休みに富岡製糸場にいってきたノリです^^


世界遺産!
富岡製糸場!

と、盛り上がって興奮していきました笑



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世界遺産に登録されたのが
おととしの2014年ですし、
記憶に新しいところだと思います。


わたしも行ってきた♪
わたしも行きたい♪
と思っているかもしれません。

松本からだと2時間くらいですからね、
ちょっと足を伸ばして行ってみるのもいいですね♪



ところで、
なんで富岡製糸場に行ったかというと
ワケがあるんです。



一番初めは
「一生の思い出に残ることをしよう」と決めて
何がいいかなと探し始めました。


センスのいいものに触れたいな。
経験できることがいいな。
と巡らせて辿り着いたのが世界遺産。

富岡製糸場です^^



えっ、センスがいいの?
と思いました??笑



いいと思うんですよね^^



どこでも世界遺産になりたいと言って
なれるかというと、そうではないです。

世界遺産になるにはなるだけの
キラリと光る何かがあるはずです。



だから、「センス」。
そう感じました^^



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そして、いくつかの質問を作りました。

○なぜ、世界最大級に栄えることができたのか?
 他との違いはなんだろう?
○なぜ、操業停止になったのか?
○世界遺産登録ができたワケは?
○どのように世界と戦う基盤を作っていったのか?
○富岡製糸場で働く人たちの環境が先進的。
 どういう取り組みから生まれたのか?

など…


事前に調べたり、
勉強してから向かいました。

現地では迷わずガイドをつけました^^

やっぱりガイドの人たちは詳しいですし、
細かいウンチクを持ってますからね!
つけない手はないです。



現地について、まず驚いたのが
レンガや壁の本当にキレイなこと!

すごいですよ!ビックリです。


フランス人のバスチャンが
建築の指揮をとりました。

当時先進的だった
欧米の文化や技術がもりこまれました。


なので、初めからペンキが使われたそうです。

さらに、10年に1度はペンキを塗ったり
メンテナンスをしたりと
並々ならぬ情熱が注がれています。

それは操業をやめてからもずっとです。

操業をやめても
毎年1億円近い維持費用をかけつづけていたそうです。


操業してないのに、毎年1億円!?


驚きですよね!笑

情熱、愛情、強い意志…
並々ならぬものが見えました。



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そして、気持ちの面だけではなくて
技術の方もとても高いものになっているんですね。


・あらゆる建築のなかに一本の長い木を使っています。
 普通は反ってしまいます。

 木にくぼみをつくり、
 レンガを挟み込むことで
 両側からの圧力をかけます。

 それによって、反りを防いでいます。


・良質な蚕がとれるように技術を確立しています。

 建物を涼しく保つことや、
 夏は涼しく冬は暖かくと温度を一定に保つこと。

 湿度42%で完全乾燥させる必要があって、
 イタリア式の可燃方法と
 窓を多くし、西風を入れることで実現させました。


・生産の安定化を実現。

 蚕から良質な絹糸を作り上げる機械、
 フルオートメーションを確立したんです。

 今までに400セットもの機械と技術を輸出しています。

 平成6年まで続いたそうで、
 富岡製糸場に現存する機械がそのまま輸出。

 中国や東南アジアなどで今でも使われています。
 技術の高いものだったことがいえます。


なるほど!!
世界遺産になるのにはワケがあるんですね^^



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僕が知りたかった質問については、

○なぜ、世界最大級に栄えることができたのか?
 他との違いはなんだろう?


まず、日本として、政府としての旗振りがあった。

当時の国際的に戦えるものとして
「絹」しかなく
輸出の7,8割を占めていた。

明治政府になり、鎖国から変わって
国交を進めていく。
そのなかで、
これで食べていくしかないという国の決意があった。


そして、ポイントは3つ。

・機械化したこと
・世界に輸出したこと
・大衆化したこと

大衆化は、当時は欧米の一部の貴族しか使えなかった贅沢品を
多くの人が使えるものにしたんですね!


○なぜ、操業停止になったのか?


いまのたくさんのビジネスと同じでした。

中国の安い絹にやられたんだそうです…。



○世界遺産登録ができたワケは?


技術や文化というのはもちろんです。
信憑性が高く、
本物であることが大きく評価されたんだそうです。

その一つは、付帯設備の素晴らしさです。


富岡製糸場を世界遺産にしたのは
学者の「中国人のツォオ・フェンさん」だそうです。

彼の目に留まったのは
「宿舎が残っているのが素晴らしい」
「付帯設備までとても綺麗に残っている」

ここが分かれ目だったようです。



○どのように世界と戦う基盤を作っていったのか?


当時の日本の技術だけでは
世界と戦えませんでした。

海外、特に欧米の高い技術を
取り入れる必要がありました。


江戸時代の鎖国中もフランスとは関係がありました。

それが明治になるとイギリスやアメリカとの関係が
深くなっていきます。

これに危機感を感じたのがフランス。

なんとしてもフランス製のものを造りたいと
意識が働き、人や技術などの多くのものを
注ぎ込むことになったんだそうです。


パリにいた渋沢栄一が間に入り、
ブリューナというフランス人が
日本に来ることになりました。


この動きがあってこその発展です。



○富岡製糸場で働く人たちの環境が先進的。
 どういう取り組みから生まれたのか?


1日8時間労働、日曜休み、勉強できる体制作りなど
先進的なところがありました。

これはフランスからの文化の輸入です。

欧米の文化や生活環境を取り入れたことによります。


先進的な面もあり、
工場や労働環境などはまだまだ厳しいところもあり
亡くなった人たちもいます。


両方の側面がありますね。




……まるで、
富岡製糸場の解説員になってしまいました笑



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でも、
世界遺産になるにはそれだけのワケがある。

そして、センスがあるものだと
改めて感じました。



もちろん、絹についての知識も深められましたし
愛着が湧きました^^



ぜひ、一度いってみてはいかがですか?^^


そのときはガイドさんをつけるのがオススメ♪♪
200円ですから笑



最後まで読んでいただきありがとうございます。

それでは今日もポジティブな言葉で感度の高い1日を過ごしましょう☆



ストールコンシェルジュ
ノリ(中谷 典弘)



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(世界遺産 富岡製糸場にて撮影)
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2016.03.25

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